喉に詰まった豆菓子から始まるデザイン論
――イソベマスヲ × DELIGRAPHICS コラボレーション・コラム
1|“かわいそう”は、デザインになる前の名前である
今回のコラボで、“一番自分たちらしいポイントは?”という質問に対して返ってきた答えは、非常にシンプルだった。
「かわいそう」
しかし、イソベマスヲさんの作品を見ていると分かる。
人間は、華やかな成功体験ではなく、“小さな不遇”によって輪郭ができている。
そして今回のデザインの着想源も、かなり良い。
コメダのドリンクに付いてくる豆菓子を食べていたら、喉に詰まった。
その時の状況をデザインに落とし込んだという。
文章として読むとだいぶ異常なのだが、不思議と“分かる”。
おそらく重要なのは、「豆菓子が詰まった」という事実ではない。
その瞬間、「なんで今これなんだよ」という種類の感情が確かに存在したことだ。
そして、そのどうしようもなく情けない瞬間を、
ちゃんと拾い上げて、ポップでキッチュでふきんしんな形に変換してしまう。
そこに、このコラボらしさがある。
こだわりのコレクションはこちらから
2|ポップで、キッチュで、ふきんしん
「ポップでキッチュでふきんしん」
このコンセプトは、ある日おぼろげながら浮かんできた言葉だという。
“おぼろげ”というのが妙にいい。
ちゃんと考え抜かれた言葉より、少し輪郭の曖昧な言葉のほうが、なぜか長く居座ることがある。
商品制作中は、ミーティングを重ねながら細かい要望を調整していった。
ただ、進めれば進めるほど、「良いデザインとは何か」というより、“どれだけ違和感を自然に存在させられるか”を考えていた気がする。
かわいいのに少し不穏。
ポップなのに妙に不憫。
笑っていいのか、一瞬だけ判断に困る。
そのバランス感覚が、今回のコラボ全体に流れている。
気づけば、“かわいそう”はネガティブな言葉ではなく、
どこか人間らしさに近いニュアンスへ変わっていた。
3|学校をサボって描いた線の行き先
もともとはロゴデザインをやりたくて学校に通っていた。
しかしサボって、こんな絵を描いていた。
この告白がすごい。
人生には、「正しい方向」と「なぜか進んでしまう方向」がある。
そして後者のほうが、たいてい変な場所へ到着する。
かわいい系の作品を描きながら、焼肉クラウドファンディングのようなメタル系デザインも作れる。
つまり感性の中に、“ゆるキャラ”と“終末思想”が同居している。
また、Xの記事や作品からは、「小さな不遇をちょっとポジティブに昇華する思考」が強く感じられる。
それは単なる作風ではなく、作者自身の人生観がそのまま滲み出ているようにも見える。
実際、本人も「己の不憫なエピソードは枚挙にいとまがなく、それをアウトプットしないと気が狂ってしまう」と語っている。
だからこそ、“いいデザイン”とは単に整っているものではなく、
情けなさや違和感、不遇の瞬間まで含めて、ちゃんと存在できている状態なのかもしれない。
しかも本人は、過去の作品を見返しては思うらしい。
「全部直したいけど現在の自分も技術が足りない」
創作における最も誠実な地獄である。
4|不遇の瞬間を、ちゃんと笑えるようにするために
イソベマスヲさんの作品には、「小さな不遇をちょっとポジティブに昇華する感覚」が流れている。
思い通りにいかないこと。
ちょっと恥ずかしい瞬間。
なぜかタイミングが悪い日。
そんな感情を、ポップでキッチュでふきんしんな形に変えてしまう。
だから作品を見たとき、ただ“かわいい”だけでは終わらない。
少し笑えて、少し居心地が悪くて、でもなぜか安心する。
そして、デザインを通じて一番伝えたいことは?
という問いへの答えは、とてもシンプルだった。
「世界平和」
壮大な言葉なのに、不思議とこの作品にはよく似合う。
小さな不遇を笑える形に変えること。
世界平和は、案外そういうところから始まるのかもしれない。





コメントを書く
このサイトはhCaptchaによって保護されており、hCaptchaプライバシーポリシーおよび利用規約が適用されます。